私の大学時代はバイトと飲み会で終わったようなものだけれど、「石川啄木研究」だけは真面目にやったと胸を張れる。

そのゼミは「石川啄木ならなんでもあり」で、例えば
「石川啄木は彼女に夜這いをかけるためにどうやって家に侵入したのか」
「石川啄木がひとり上京している間、どこでどんな女性を買ったのか」
「石川啄木の料理のレパートリー」
なんていうものすごーくくだらないことを真剣に論じ合い、しかもそんなことを検証するためにゼミ旅行まで決行したりして、今思うと「学問」の片鱗を垣間見たのはあの1年間だけだなあ、という感じ。

「国語」とは何か。
こう問われたら、私は「雑学」と答える。
もちろん受験指導も私なりに精一杯やっているけれど、例えば古典文法を直接将来に役立てられる生徒はごく一部だろう。
だから、今の私の役割は、彼らが社会人になった時に必ず要求される「一般常識」や「文章力(常識的な書類の読み書きが出来る程度)」の基礎を作ってあげることだと思っている。

でも、少なくともウチの学校では、がちがちの教え方じゃ生徒はついてこない。だから私はせっせと「雑談の小ネタ探し」に励み、教科書のくそ面白くもない評論をできるだけ面白くしようと必死であがいている。
とにかく、生徒達がその文章と向き合ってくれさえすればいい。
ぶっちゃけて言えば、「教科書を開かせ、そして目を通させる」これだけなんだけどね。
でも、これをしなければ始まらないし、逆に続けていけばとても役に立つと思うから。

…で、こんなふうに日々を過ごしている中で、一番役に立っているのは、大学3年の一年間で得た知識だったりする。
あの授業はまさに「雑学」だった。
とことん真剣に、かつ楽しんで学び取ったものだから、きっと私にとってはものすごく大きな糧になっているんだろう。

高2の生徒達は、こういった話をよくせがむようになった。
他人の人生を通して自分と真剣に向き合う、ということは、今の彼らにはとても大事だと思うから、出来る限り対応してあげたい。


…ということで、高2B組の授業がここ3回ほど雑談オンリーであったとしても、また、話の途中でチャイムが鳴ったのが悔しくて
「次回に続く!!」
と叫んで帰ってきてしまったとしても、一教師として何ら問題はない。
…とほほ。

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