写真はすごく綺麗に撮れるし、サイトも見やすいし、おもちゃとしては最高。

でも本体の設定がややこしいし、なによりも入力がめんどくさい。
範囲指定の操作がやりづらいんじゃー!
そのせいで日記どころかメールからも遠ざかっている始末(^_^;)

あーまどろっこしいよー。
慣れるしかないんだろうけどさ。
断乳から1ヶ月、早速生理が復活した。
母モードだった体が女モードに戻ったのだなあ。
どんより不快だしめんどくさいし、この先妊娠するつもりもないから、もう上がっちゃってもいいんだけどな(笑)
入院中は首元から点滴を入れていたせいで断乳が断乳にならず、ガチガチのパンパンでダラダラな胸の痛みにさんざん苦しんだが、退院前に点滴を抜いたら1日半で胸がしぼんだ。
いやもうびっくりするくらいのしぼみよう。
さらば巨乳。ひとときの夢をありがとう。

それはさておき、乳腺に母乳が残っているとしこりになって良くないらしいし、時折キリキリと痛むので、母乳外来を受診。
助産師さんにマッサージをしてもらうと、しぼんだ胸から母乳が噴水のようにぴゅーぴゅー飛んだ。
乳腺の詰まりが取れたらすっきりさっぱりしたけど、「ああ、これでもう娘におっぱいを飲ませることはないんだなあ」
と淋しくなった。
軌道に乗せるのは大変だけど、終えるのは超あっけないもんだなあ。

それに「おっぱい終わったら居酒屋に行って生ビールをジョッキでごきゅごきゅ飲むんだ」ってめちゃくちゃ楽しみにしてたのに、膵臓やっちゃったせいでそれも叶わず。
あうう。
私が入院している間、義母に娘とダンナの面倒をみてもらっていたのだが、退院して自宅に戻ってみると、どこもかしこも綺麗に整頓されピカピカに磨き上げられていた。
私なんか娘の世話だけでぶっ倒れてるというのに…義母すげえ。

そんで、私がめちゃくちゃ元気なのを確認すると
「孫ちゃんとたくさん遊べて楽しかった〜。もう私がいなくても大丈夫みたいだし、気を遣わせるだけだから帰るわ〜」
とさっさと帰っていった。

なんという良トメ。
わたくしもう千葉に足を向けて寝られません。
おうちに帰れて嬉しかったです。

娘に会えて嬉しかったです。


でも、正直なところ、二週間ぶりに履いたジーンズが超ゆるゆるだったことが一番嬉しかったです(笑)
明日退院していいってさ!!
わーいおうちに帰れるー!!


で、当分は内臓に負担がかからない低脂質なものを食べなきゃいかんってことで、栄養指導を受けてきた。
アルコール厳禁ってのは覚悟してたけど、まさかオールフリーまでダメだとは(号泣)
炭酸は刺激が強いから、完全に治るまでは我慢しろって…あああ。
なんちゃってビールまで禁じられたら、わたくしは何を楽しみに生きてゆけばいいのでしょうか。

ちくしょー!さっさと治りやがれ膵臓!!

断乳継続中。

2011年8月25日 日常
断乳を始めて二週間近く経つのに、胸の張りが一向ににおさまらない。
左側はまだマシなんだけど、右がもうガチガチのカンカンでダラダラ状態。
こんなにおさまらないものなのか、とたまりかねて助産師さんに来てもらった。

そしたら

「そりゃそうよ〜、右側の首元から点滴を大量に流してたんだから」


…がくり。

確かに胸をいくら冷やし続けたって、そのすぐ上から母乳の元となる水分と栄養をガンガン流しまくってたら、分泌が止まるわけないわな…。


点滴を昨日抜いたことと、今朝もちょっと圧抜きしちゃった(絞ればその分また生産されてしまうので、極力絞らない方がいいのだ)ことを伝えると、

「点滴が外れたら水分摂取量がかなり減るから、母乳の分泌も抑えられてくるはず。あと2日絶対絞らないで我慢して。それですっきりするまで絞って、また3日我慢。そしたらここの母乳外来を受診して」


ほほー。ここって母乳外来あったんだ。知らなかった。
そりゃー助かるわ。


「今が頑張り時だからとにかく耐えて!」と励まされ、ちょっと先が見えてきた気がしてほっとした。
とりあえずあと2日、絞らずにいられますように。

入院12日目。

2011年8月24日 日常
いやっほう!点滴と導尿抜けたぜ!!

切迫入院中に首からの点滴にあれだけ怯えてたけど、今回やってみたら差し替えの手間とストレス無しで楽だったよ。
まあ処置されたのが救急搬送されてきた直後、腹の激痛に悶えてた時で、怯えてる余裕なんかなかったからねー。
抜糸時は「いてて」くらいで終了。
導尿もスルッと抜いて終わり。
かーいほーうかーん!!
自由だー!!


そんで昨日から流動食もスタートした。
重湯、スープ、豆腐、ヨーグルトあたりから始まって、今日は五分粥、煮魚、お浸し、野菜の煮物にステップアップ。
形あるものを消化するって、実はとっても胃腸に負担がかかることだったんだねえ。
でも、もぐもぐ噛んで飲みこむと「食べてる」って実感できて嬉しい。
娘の離乳食がちょうど今こんな状態なんだよね。
きっと娘も同じように感じてるんだろうなあ。
なんかね、超人並みのハイスピードで回復してるらしいよ。
朝晩の回診の度にイケメン担当医が
「またすっっっごく良くなってますよ」
って笑うんだよ…プププーって感じで。

そんでさっき胃カメラ飲んできたんだけど(こないだ飲んだばっかりなのに…)、
「朝倉さん、ホントに全く異常なし。ガンも潰瘍も炎症もなーんにもない、綺麗なもんです。文句なしの100点」
って拍手されたよ。わーい(笑)
どうやら先月指摘された胃炎は治ったらしい。
じゃあやっぱり膵臓の炎症だけなんだなあ。
お腹はもう「ぎゅーっと押されたら痛い」程度で何ともないし、下痢は時間が解決するらしいし、退院も近いか?


っつーか、辛いのは断乳だよ…
日に6回授乳してたのを突然やめてしまったので、乳の分泌がそう簡単に止まるわけもなく、行き場をなくした乳が溜まりまくってカンカンに張って痛いのなんのって。
断乳に踏み切ったのは私自身だけど、入院しなければあと一年くらいは母乳を与えるつもりでいたので、もったいないっつーか残念っつーか、もやもやするんだなー。
娘が生まれてすぐNICUに連れていかれたこともあって、母乳がなかなか軌道に乗らなかったのだけれど、意地で混合を続けて、最近では8割母乳、ミルクを足す量も1日に100ml程度のところまで来てたんだよねえ。
まあ娘は元々「おっぱい?ミルク?どっちでもいいよー。あ、でもミルクの方が飲むのが楽でいいよね」みたいな感じなので、すんなり完ミへ移行しちゃったみたいだけどさ。
はいはい、拘ってたのは私だけですよ。ちぇ。
そんなことをぐだぐだ考えながら、アイスノンと冷えピタ併用で張りまくりの胸を宥める日々。
最初はパジャマが触れるのさえ辛くて、乳まるだしで寝て暮らしてたんだけど、入院10日目にしてようやく日に一度絞るか絞らないかの状態まで来た。
幸いここは産婦人科もある病院で、助産師さんに相談しやすい環境。
断乳後は乳に残ったのを絞りきった方がいいと聞くし、もう少し落ち着いたら断乳ケアしてもらおう。
ようやく痛みが落ち着いてきた。
検査の結果、軽度のすい炎ということで、絶飲食で炎症が収まるのを待ちつつ、適宜検査しながら治療を進めていくそうな。

そんなわけで点滴で生きているわたくし。
空腹よりも渇きがつらいよ。
治療も兼ねて1日6リットル近い水分を点滴していて、トイレが間に合わないだろうということで導尿&紙おむつ。
人間の尊厳というものに一瞬だけ思いをはせたが、一度開き直れば非常に楽ちんでいい。

絶飲食といっても一昨日から1日3回エレンタールという激マズの栄養剤だけは飲むことを許されている。
プロテインみたいな粉とフレーバーをつける粉をどさっとカップに入れて、お水をちょっと入れてシャカシャカ振って溶かして飲むのだ。
大抵のものはおいしくぺろりといただける私だが、これはマジで無理。
ゴム?バリウム?そんな感じの匂いとどろりとした食感は我慢できるんだけど、それらをごまかすためのフレーバーがガムシロ10個分くらいの濃厚なでろでろした甘さで、喉が嚥下を拒むんだよ…
フレーバーの量を少なくしたり、氷を入れてみたりして、なんとか飲もうと頑張ってはいるんだけどね。
フレーバーの種類がたくさんあるので、今は少しでもマシな味を求めてとっかえひっかえ試してるところ。
さっぱり梅味は超濃厚だし、コーヒー味は甘さが強調されてダメだった。
フルーツトマト味に至ってはもう意味わからん。
甘すぎるから「トマト」じゃなくなって「フルーツトマト」にしたんだろ。
今のところなんとか半分飲みきれたのはヨーグルトくらいだったよ。
完飲に値する味が見つかるといいな。

…とだらだら書いてる間に下痢4回。
中村獅童似のイケメン主治医いわく「久しぶりに水分をとったので腸がびっくりしてるんですね。そのうち治まりますから」
…宿便まですっかり出きりそうだ…。
年が明けた頃からちょいちょい胃が痛むようになった。
近所の内科で授乳に影響のない弱い薬を出してもらって凌いでいたのだが、最近はそれも効かず痛みのあまり眠れない夜があったりもして、何か悪い病気だったら困るなあと心配になってきたので、一度きちんと診てもらっとこうと胃カメラを飲むことにした。

事前に「鼻からと口から、どっちが楽ですかね」と質問してみたら、「鼻からの方が検査中は楽だけど、検査後に鼻の奥が痛い」と看護師さんが言ったので、しんどいのを検査後にひきずるのはイヤだなあ…と口からの方をチョイス。
喉の麻酔を口に含み、胃の中の泡を消す筋肉注射をして10分ほど待機していると、先生登場。
ベッドに横向きに寝てマウスピースを噛まされ、黒いチューブをぐぐっとつっこまれ、容赦なく奥へ奥へと押し進められること5分ほど。
腹式呼吸でゆーっくり息を吐いていると何ともないんだけど、何かの拍子についうっかり喉を締めちゃったりすると途端にオエエエエとなる。
でも私はこの嘔吐感よりも、カメラが胃を通過して十二指腸へ向かうあたりで来た腹部の膨満感の方がしんどかったなあ。
ま、終わった後多少涙目で「はー疲れた」と呟く程度のものだったし、コツも掴めたので、たぶん次はもっと楽に受けられると思う。

カメラを抜いてベッドから起き上がり、すぐにモニターで映像を確認。
先生曰く「非常に若々しくて綺麗な胃をしていますね」
ひゃっほう!若いってよ!(笑)
酒から遠ざかって一年半、授乳中でカフェインも刺激物もあまり摂取しない健康的な暮らしだからだな。
食道も喉も胃も十二指腸も綺麗なもんだってさ。

でも胃に引っ掻き傷みたいなのが三本ある写真を見せられて
「胃炎だね。本来来るはずのないところまで胃液が上がってきてる」

続けて胃と十二指腸の境目の写真が出てきて
「ここの白い波模様みたいなやつ、胆汁が上がってきちゃってる跡ね。やっぱりこれも本来はここまで来るべきものじゃないんだよね」

なんでまたそんなことになってるんですか、と尋ねたら
「ストレスだね」
だってさ…やっぱり育児か?
慢性的な寝不足&疲労が体にきてるんだろうなー。

「症状が出たら薬飲んで、痛みがなくなったら薬飲むのもやめて、って気長に付き合っていくしかないね」
ということで、薬を1ヶ月分もらって帰ってきた。


それにしてもストレスで胃炎…教員やってた時の方が100万倍しんどかった気がするんだがなあ。
ここ数年ぐうたらしてたから、その反動かもしれんな。
神奈川県央の我が家は震度5強だったらしい。
数年前に建てた家で耐震構造がしっかりしていたからか、地震の最中は椅子に座ったまま「うおおおお大きいな、それに長いぞ」なんて暢気に呟ける程度の揺れだったし、娘にいたってはハイローの揺れとでも思ってたのかニコニコ超ご機嫌。
何かが落ちたとか壊れたとかいう被害もなかったし、電気ガス水道も通じているし、全くの無事。

でも報道を見て青ざめた。
余震もちょいちょい来ていることだし、事態の収束はかなり先のことになるだろう。

とりあえず米を5合炊いて、やかん2つにお湯とお茶を沸かして、コンロとカセットボンベを棚から降ろして、保存食を確認。
リビングの片隅に非常用持出袋を放り出してあることでいつでもすぐ逃げられると思っていたけど、今チェックしてみたらそれは「大人の避難生活における便利グッズ」であって、小さなこどもがいる生活には何の役にも立たないものばかりだった。
娘の生活に最低限必要なのは母子手帳と保険証、薬、おむつにおしりふきに着替え、バスタオル、ミルク、熱湯入りの水筒、湯冷まし。
バッグ2つ分になるこれらを持ち、そして娘を抱えたらもういっぱいいっぱい。
避難袋を持つ余裕なんかどこにも無い。
いざという時、私だけではどうにもならないということを思い知らされた。

そんなわけで「心配だから泊まりこんであげる」というおかんの申し出をありがたーく受けた。
産んで初めて理解する、「なんとしても子どもを守らねば」という気持ちの重さ。
折込広告で朝から爆笑。
ちなみにうちの近所のお店で買うと、家紋入りの幟をバイクの後ろに刺してもらえます(笑)

http://www.ichizo.co.jp/html/syohin/syohin_nori_chopper_b.html
おかんが税務署からもらってきてくれた医療費還付手続きの書類を、1ヶ月以上触りもせずに放り出したままだったことがバレた。
還付申告だけだから15日までじゃなくてもいいんだよ、と言ったら
「どうせやらなきゃいけないことなんだからさっさとやりなさい!!」
と怒られた。
いくつになってもこの手のことでたびたび怒られるわたくし。


仕方ないので領収書やら源泉徴収票やらを発掘し、PCの電源を入れたところまでは良かったが、ついスパイダーソリティアを立ち上げてしまい2時間ほど没頭。
娘の泣き声で我に返り、おむつを換えて乳をやって、そのまま寝転んで絵本を読んだりおしゃべりしたりしてたらいつの間にか昼寝に突入、目覚めたら夕方。
娘をお風呂に入れてスキンケアして乳やって、「おやすみー」と和室の扉を閉め、さー私の時間だオールフリーでも飲むかーと冷蔵庫に手をかけたところにおかんから「書類出来たのか」とメール。
めんどくさいので「出来た」と大嘘を返信すると、「明日孫ちゃんに会いに行きます。ついでなので帰りに税務署に寄って書類を提出してきてあげる」と返ってきた。
大混雑の税務署に娘を連れていくのは嫌だったので今回は郵送するつもりだったが、郵便局に行く手間まで省けてしまった。ラッキー。
でも「出来た」と言ってしまった手前、おかんが来るまでに書類を仕上げておかねばならず、夜なべして領収書の山と取っ組み合う羽目になった。
相変わらずめんどくさい作業でうんざりだったが、還付される額が判った途端に疲れがふっとんだ。
6万円ちょい、何に使おうかなー。うひひ。
いんすぴのブログチェックしたら、見慣れた学校名と見慣れた制服が目に飛び込んできた。
私が4年前まで勤めていた学校に彼らが昨日公演に来ていた、という記事だった。
ぐあーー!なんと羨ましい!!
なんで辞めたんだ私ーーー!!


でもよくよく考えたら、一ファンとしての沸き上がる興奮を必死で押さえ込み、冷静に教員という立場で彼らの歌声を鑑賞するというのは、かなりの拷問かもしれない。


やっぱり辞めた後に来てもらって良かった。ということにしておこう。
会場の美香りんからのメールで雰囲気だけ楽しんでたりする。


ガンガン買い物して、帰りに生ビールをごきゅごきゅっとやりたいもんだねえ。
3回目の年女…。


ビールも飲めないし、先週の土曜にダンナが親知らずを抜歯して以来腫れがおさまらないっつーんで、ここんとこずっと食事がお粥とか温奴とかロールパン+野菜スープとかいうまるで離乳食みたいなメニューばっかりだし(自分のだけを別に作るという選択肢はない。そんなめんどくさいことやってられるか)、いまいち「祭り!!」って感じがない誕生日。


せめて今日のお昼はおいしいものを買ってこよう。
体に悪そうなこってりがっつりしたものが食べたーい!!



ところで最近腹が減る時間帯になると「うう…なんかムカムカする…」程度の気持ち悪さに襲われる。
ちょっとでも何か口にするとけろっと治まるんだが、これは単に空腹で胃が悲鳴をあげているだけなのか、それとも俗に言う「食べづわり」ってやつなのか。
おかげで一日中何か食べてる気がする。
それでも通常より2Kg減。
妊娠して酒を止めたせいだ。
こういう時、通常の自分がいかに酒でカロリーを摂取していたのか思い知らされるわ(笑)
ロト6を同じ数字で買い続けているのだが、1年くらい全く当たらなかったのに、3週間前に1000円、そして今週も1000円当たった。

ツキの波が来てるのかも。



今無性にパチンコやりたい。やらんけど。
ご無沙汰です。
ダンナがまるまる1ヶ月間出張で不在なのをいいことに、2週間ばかり熊本に行ってました。


でも遊びで行ったんじゃないのよー。
祖母の妹とその旦那さんが亡くなって住み手のいなくなった家が、そのまま十年ばかり放置してあったので、それを片付けに行ったのです。



でも家電も食器も服も揃ったままの家を一軒まるごと空にするってのはおそろしく大変なことで、リサイクル屋さんに「お金になるものだけ持って行ってください」と頼み、その後は遺品整理屋さんに丸投げした。

業者が入る前に必要なものだけ引き上げたんだけど、それだけでも超大変。
不動産鑑定士だったおじさんの仕事場にはわんさか書類が残ってたし、押入れを開ければネズミの糞が山になってるし、箪笥を開けたら衣類は虫くいだらけのぼろぼろだし。
仏壇の中身や日蓮上人の肖像画みたいなものは、親戚が寺なので「お経をあげて燃やしてください」って頼めたんだけど、一番困ったのはアルバム。
気持ち的にちょっとねー。
しかしうちのおとんとおかんの結婚式の八つ切り写真が出てきた時には笑った。
それまで「写真を捨てるってすごく抵抗あるのよねえ」なんて言ってたおかんが、その写真を見つけた途端「そんなのとっとかなくていい」って即座にゴミ袋にポイ。
あんたそれでいいのか。



そんな作業の合間に来てもらったリサイクル屋さんは「…うーん困ったな」と言いつつも、使い古しのベッドや応接セット、ブラウン管のTVや昭和のラジオ等をまとめて持っていってくれた。
そんで1500円くれた。
これだけもらえただけでもありがたいとしよう。
着物の引き取り業者にみてもらった着物20着と小物数十点なんか、「全く値段がつきまへん」で終わりだもん。
自分で捨てるのには抵抗があったから「持って帰ってもらえますか」っておしつけちゃったけども。


必要なものを引き上げた後は、業者にお任せ。
遺品整理屋さんに265000円、ハウスクリーニングに52500円支払って、計317500円。
築40年超の平屋3DKの片付けにこれだけかかった。




しかしここで私の労働が終わったわけではないのだ。
一昨年の夏と昨年の冬に亡くなった母方の祖父母のものが、祖父母宅にほぼ手付かずで残っているんだな。
今はうちのおかんの兄・姉(ともに独身)が住んでいるんだが、当人達は思い入れが深すぎて手をつけられずにいたみたい。
今回の祖母の妹宅を片付けたことで、「生きてるうちに整理しておかないと残された人が大変だ」と気づいたらしく、ようやく重い腰が上がったんだが、それでも気分的に一気に片付けてしまうのは嫌だというので、一番の難所だけをやっつけることになった。


この一番の難所とは、祖父の部屋。
お寺の次男坊なのでいろいろとお手伝いをしていた関係で、寺の運営にまつわる書類が山ほどあるし、趣味が古文書読解だったので辞書やら資料やらが天井から床までみっしりなのだ。
本棚から引っ張り出して分別して、ゴミ袋に入れたり紐でくくったりする作業がまる3日続き、捨てるものは車につめこんでごみ焼却所に直接持ちこんだ。
1回じゃ運びきれなくて、結局2往復。
そんでもって、たった2畳しかない祖父の部屋から処分したものの総重量、なんと610Kg。
じいさん、いくらなんでも詰め込みすぎじゃよ。


今回はここまででタイムアップだったけど、また近いうちに何度か行ってやらないとどうにもならんぞあの家は。




で、今回の私のめざましい働きに対する報酬は、祖母の妹夫婦宅の押入れから出てきた小銭貯金まるごとでございました。
1円・5円・10円…と種類毎にプラケースに分けて入れてあって、一人じゃ抱えられないくらいずっしり。
それらを風呂敷に包んで、よろよろしながら郵便局まで抱えて行って、通帳とともに窓口にドスンと置いて「貯金します」(笑)
嫌な顔ひとつ見せずに対応してくれたお姉さん、ごめんなさいそしてありがとう。

総額16万2413円。
頑張った甲斐があったぜ。
デスマーチ上等のぐだぐだ気質に嫌気がさして、退職金上乗せキャンペーンにのっかって会社を早期退職した弟。
数ヶ月「専業主夫」「嫁の運転手」「ヒモ」の暮らしを謳歌していたと思ったら、ヘッドハンティング会社からお声がかかって、この度めでたく大阪の会社に勤務することになった。



弟「就職活動、俺頑張ったよ。だって履歴書3枚も書いたし」



おまえ職安前でそれ大声で叫んだら間違い無く刺されるぞ(笑)



19日には神奈川を発つというので、近所の中華料理屋でおかん仕切りのもと送別会が開催された。
壮行会じゃないんか、と言ったのだが、未だに子離れ出来ていないうちのおかんは「息子の再出発を励ます」というより「自分が寂しくてしょうがないので別れを惜しみたい」という意識でいる模様。
映画1本観る時間さえあれば大阪まで行けちゃう時代だというのに、「もう二度と会えない」くらいの勢いだから困ったもんだ。


「○○(弟)が今度の会社で定年まで勤めるとして、あと25年?私はもう90歳くらいね、どうしようかしら」

とかよく判らんことを言い出して、その場の全員から「何の心配をしとるんだ」と一斉に突っ込まれてたよ。

おとんはおとんでひたすら「転職なんてもってのほかだ」的なことばっかりだし。
どうしてこううちの親は後ろ向きなことばっかりしか言えないかなー。うんざり。

ま、その分を私達が声掛けしてあげればいいか、と私とダンナで
「いい条件でお声がかかって良かったね」
「頑張って」
って励ましてきた。




しかしこうなると、今まで二分されていたおかんの干渉ターゲットが、これからは間違いなく我が家狙い撃ちに…うへー。

1 2 3 4 5 6

 

最新の日記 一覧

<<  2025年4月  >>
303112345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930123

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索