今回は「金太」歌わなかったもん。
2001年3月15日若手教員20人で、退職するT先生(30・♂)とIさん(26・♂)の送別会。
このふたりとはとてもつながりがあった。
まず同じ高2スタッフだということ。
T先生は同じ校務分掌(入試関係)で、研修旅行にも一緒に行った(実は10日に入試関係で送別会をしているんだけど)。
I先生とは年齢と出身大学が同じだし、私が大学を卒業してまず勤めた学校が、彼がかつて通っていた中高だった。
そして、私が大学時代つるんでいた子とIさんがつきあっていたということも発覚(笑)。
こんなふうに、自分とたくさんの接点があるひとが目の前からいなくなってしまう、ということは、とても淋しい。
でも、それぞれが自分に合った居場所を見つけられたのは、とても素敵なことだと思う。
彼らに負けないように、私もここで頑張っていきたい。
しかし、やっぱり出ました泥酔者(笑)。
吹奏楽部顧問Y先生がもうべろんべろん。
私と同期K(一緒に吹奏楽部の顧問をしている)でY先生を両脇から支えながら
「すいませんウチのが迷惑かけてます」
なんて言いつつ移動。
私「はいはい次の店に行きますよ」
Y先生「なんだ朝倉かあ。Kは…ああ居たわよかったー」
私「『なんだ』って、こんなにお世話してる私に
そんなこと言っていいんですか(笑)」
Y先生「俺は朝倉の世話になんかなりたくないっ」
私「Kはいいのになんで私はダメなんですか」
Y先生「うるせっ!このバカ女!!」
…あまりにも直接的な罵倒…。
次の店でまったりしてたら終電を逃してしまったので、その時はもう完全におねむだったY先生を、なんとかタクシーの後部座席に放り込み、家まで送り届ける。
そして私が自宅にたどりついたのは午前1時半。
母激怒。
そろそろ家を追い出されそうだ。
このふたりとはとてもつながりがあった。
まず同じ高2スタッフだということ。
T先生は同じ校務分掌(入試関係)で、研修旅行にも一緒に行った(実は10日に入試関係で送別会をしているんだけど)。
I先生とは年齢と出身大学が同じだし、私が大学を卒業してまず勤めた学校が、彼がかつて通っていた中高だった。
そして、私が大学時代つるんでいた子とIさんがつきあっていたということも発覚(笑)。
こんなふうに、自分とたくさんの接点があるひとが目の前からいなくなってしまう、ということは、とても淋しい。
でも、それぞれが自分に合った居場所を見つけられたのは、とても素敵なことだと思う。
彼らに負けないように、私もここで頑張っていきたい。
しかし、やっぱり出ました泥酔者(笑)。
吹奏楽部顧問Y先生がもうべろんべろん。
私と同期K(一緒に吹奏楽部の顧問をしている)でY先生を両脇から支えながら
「すいませんウチのが迷惑かけてます」
なんて言いつつ移動。
私「はいはい次の店に行きますよ」
Y先生「なんだ朝倉かあ。Kは…ああ居たわよかったー」
私「『なんだ』って、こんなにお世話してる私に
そんなこと言っていいんですか(笑)」
Y先生「俺は朝倉の世話になんかなりたくないっ」
私「Kはいいのになんで私はダメなんですか」
Y先生「うるせっ!このバカ女!!」
…あまりにも直接的な罵倒…。
次の店でまったりしてたら終電を逃してしまったので、その時はもう完全におねむだったY先生を、なんとかタクシーの後部座席に放り込み、家まで送り届ける。
そして私が自宅にたどりついたのは午前1時半。
母激怒。
そろそろ家を追い出されそうだ。
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