遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
年末はダンナが30日まで出勤してくれたおかげで、かなりマイペースに過ごせた。
結局祭りにも参加しちゃったしな(笑)
ダンナ出勤後に掃除洗濯晩飯準備を光速で済ませ、会場には13時着、3時間ばかり海の空気を吸ってから新橋でビール2杯飲んで19時過ぎには帰宅、何食わぬ顔でダンナを出迎えた(しかし私は一体いつまで自分の本性を隠し通さねばならんのだろうか…)。
31日はダンナ大活躍。
前日遅くまで仕事だったというのに、朝からはたき・掃除機・雑巾・マイペットを駆使して大掃除大会。
マメで綺麗好きな人なので、私がめんどくさいからと目をつぶった窓も、いつの間にかぴっかぴかに磨き上げてくれた。
(こんな顛末でしたよ(笑)>こころさん)
おかげで私は料理に専念、三が日の料理の仕込みも完璧。
夜はのんびり飲みながら「無人島生活」で年越し。
しかし正月は酷かった。
年明け早々義父母がやってきて、私とダンナを連れて義祖母宅へ。
10畳ちょいのDKに30人以上の親戚がわさわさひしめきあって大宴会を繰り広げている様子に絶句。
義父の従兄弟だけで23人も居て、それに義母の兄弟の娘・息子夫婦が加わって、それぞれの奥さん子供が入り混じって、もう何が何やら。
「これが東京に住んでる従兄弟の○○で、その奥さんの○○さんで…」
と義父は御機嫌でいろんな人を紹介してくれたが、はなっから覚える気が無い私はひたすらニコニコ&相槌に徹し、あとはどっかり座り込んでビールを飲んでいて、台所の手伝いも一切しなかった。
気が効かない嫁と思われて結構。
深入りしたくないんだもーん。
私が仲良くするのは義父母と義妹、義祖母まででいいや。
結局この日は我が家に泊まった義父母だが、翌日は「疲れたから」と昼前にあっさり帰っていった(こういうところは良い義父母なんだけどねー)。
そして私の実家へも挨拶に顔を出す。
おとん&おかん&ダンナ&私でまったりと鍋をつついていると、いつの間にか精神的な疲労が癒されていた。
やっぱり私はだらだらした正月が好きだ。
こんな感じで3が日は嵐のように過ぎ去ってゆき、翌4日からダンナは出勤。
ようやく年賀状に目を通す余裕が出てきた。
うーん。
思った以上に激減。
担任していた連中は現在高3だから、年賀状どころではないんだろうなーと思うし、そもそも私は辞めたんだから忘れられて当然だろうとも思うんだけど、それでもどこかで期待してしまう。
推薦で進路が決まった数人が近況報告がてら送ってくれた年賀状を読んで、
「みんな頑張ってるんだなあ、元気かなあ」
なんてちょっとおセンチな気分になったのでした。
今年もよろしくお願いします。
年末はダンナが30日まで出勤してくれたおかげで、かなりマイペースに過ごせた。
結局祭りにも参加しちゃったしな(笑)
ダンナ出勤後に掃除洗濯晩飯準備を光速で済ませ、会場には13時着、3時間ばかり海の空気を吸ってから新橋でビール2杯飲んで19時過ぎには帰宅、何食わぬ顔でダンナを出迎えた(しかし私は一体いつまで自分の本性を隠し通さねばならんのだろうか…)。
31日はダンナ大活躍。
前日遅くまで仕事だったというのに、朝からはたき・掃除機・雑巾・マイペットを駆使して大掃除大会。
マメで綺麗好きな人なので、私がめんどくさいからと目をつぶった窓も、いつの間にかぴっかぴかに磨き上げてくれた。
(こんな顛末でしたよ(笑)>こころさん)
おかげで私は料理に専念、三が日の料理の仕込みも完璧。
夜はのんびり飲みながら「無人島生活」で年越し。
しかし正月は酷かった。
年明け早々義父母がやってきて、私とダンナを連れて義祖母宅へ。
10畳ちょいのDKに30人以上の親戚がわさわさひしめきあって大宴会を繰り広げている様子に絶句。
義父の従兄弟だけで23人も居て、それに義母の兄弟の娘・息子夫婦が加わって、それぞれの奥さん子供が入り混じって、もう何が何やら。
「これが東京に住んでる従兄弟の○○で、その奥さんの○○さんで…」
と義父は御機嫌でいろんな人を紹介してくれたが、はなっから覚える気が無い私はひたすらニコニコ&相槌に徹し、あとはどっかり座り込んでビールを飲んでいて、台所の手伝いも一切しなかった。
気が効かない嫁と思われて結構。
深入りしたくないんだもーん。
私が仲良くするのは義父母と義妹、義祖母まででいいや。
結局この日は我が家に泊まった義父母だが、翌日は「疲れたから」と昼前にあっさり帰っていった(こういうところは良い義父母なんだけどねー)。
そして私の実家へも挨拶に顔を出す。
おとん&おかん&ダンナ&私でまったりと鍋をつついていると、いつの間にか精神的な疲労が癒されていた。
やっぱり私はだらだらした正月が好きだ。
こんな感じで3が日は嵐のように過ぎ去ってゆき、翌4日からダンナは出勤。
ようやく年賀状に目を通す余裕が出てきた。
うーん。
思った以上に激減。
担任していた連中は現在高3だから、年賀状どころではないんだろうなーと思うし、そもそも私は辞めたんだから忘れられて当然だろうとも思うんだけど、それでもどこかで期待してしまう。
推薦で進路が決まった数人が近況報告がてら送ってくれた年賀状を読んで、
「みんな頑張ってるんだなあ、元気かなあ」
なんてちょっとおセンチな気分になったのでした。
コメント
いいね〜羨ましい。
でも、ご主人様の御実家のお付き合いがすごいですね。
私も、ずっと知らない人ばかりでよくわかったのが義父のお葬式で叔父さん叔母さんを何人も理解したのでした。
今年もたびたびお邪魔しに来ますね。
年賀状の話、よく分かります。
私も激まではいかないけど減りました。
退職した人間には淡白だなと感じますね。