ここのところずっと中学入試の作問にかかりっきりだった。
早くからとりかからなかった自分が悪いのはわかっているけれど、誘惑に弱い私はRAG FAIRのニューシングル(封入トレカは加納くんでしたわーい!!)と、ハリポタ4巻(上巻読破…ロンとハリーがうちのクラスの悪ガキどもみたいで可愛くて可愛くて…)にふらふら寄り道していたりして、問題完成まで非常に遠回りした。

今日は授業の後に出張があって、戻って部活に顔を出して、それからようやく作問ととっくみあった。
月曜の入稿までになんとか間に合うだろう、というところまでたどりついたところへ、携帯に
「今すぐ○○まで来やがれ」
という飲みのお誘いが入った。
素敵なタイミングね、と指定された店に行くと、かなり出来上がった男性教員6名が下ネタ真っ最中。
「お前仕事遅えんだよバカ!!」
と叫ばれただけでそのまま下ネタ続行。

あのーあたしいちおうおんなのこなんですけど。

居酒屋から流れたスナックで、店のお姉さんが落ちた「会いたい」を熱唱して大受け。
10年振りだよこれ歌ったの。



今日はなんだかやたら楽しかった。


【本日の酒量】サボり気味だけど毎日飲んでます。

生中2杯、焼酎お湯割り2杯、ウィスキー水割り3杯
どうして予約しておかなかったんだ私のバカー!!
うあーん加納くーん(号泣)。


中学入試問題の入稿日が今度の月曜にまで迫っている。
そろそろ焦ってきてるんだけど、他の仕事が忙しくて全然手をつけられていない。

そんなところにRAGの新曲とハリポタ4巻発売。

これって絶対誰かが私を陥れようとしているに違いないわっっ。
お局は朝から私と目を合わせない。


自分に技術や知識や経験が足りないのは嫌ってほど知り尽くしてるさ。

でも私は今のあんたみたいに惰性で仕事してない。
仕事への情熱と誇りに関しては、絶対にあんた以上のものを持ってるという自信がある。

それをあんたにわからせるために、私は自分自身の中にある子供達への思いを本気で書いた。

「発行の動機が不純」と思われても結構。
自分の本気の部分をバカにされたままでいられるかっての。
職場で学級通信の話題になった。
私は月に1、2回のペースで発行しているので、現在15号まで出している。
ところが、今まで全く発行していなかった隣のC組担任S先生が、ここのところ追い上げて来ており、今日13号を発行することになった。
回りの先生達と「うわーすごいペースだー」と笑いながら話していて、私が冗談で
「追いつかれちゃいますねえ、悔しいなあ。私明日16号出そうかなあ」
と言ったところ、うちの学年の副担任I先生(お局)が噛みついてきた。

「それって動機が不純よね、間違ってない?追いつかれるの悔しいから出すなんて教育者失格だわよ」


不純な動機だということは全く仰せのとおりです。
でも担任はずれて10年以上の楽しまくりのあんたに「教育者失格」とまで言われる筋合いねえですよ(怒)。


明日はB4両面刷りの通信16号を、朝イチでヤツの机に叩きつけてやる。

俺の本気を舐めんなよ。

私の中で「体を休めよう週間」が始まったのです。
今週はできるだけ早く帰るのだ。


夕方の5時に家に居るというのがとても不思議に思えましたが、とりあえずビールを持って二階の自室に行きました。
そして、購入から2週間経った今日、ようやくDVD「Load of the Rings」を開封したのでした。

特典映像最高です。
軽口を叩き続けるオーランド(レゴラス)を、ヴィゴ(アラゴルン)とショーン(ボロミア)が
「ホントにしょうがないなこの子はー」
みたいに笑いながら見つめてたりとかー!!
テーブルの上でくるくる回って踊ってるピピンとかー!!

一気に観ちゃうともったいないと思ったので、半分で止めてしまいました。
ふふ。ゆっくり観ようっと。

やっちまったー!!

2002年10月14日
ぐだぐだ寝てたら「水戸黄門」見逃しちゃったよ!

照英すんごく楽しみにしてたのに私のバカー!!


http://www.tbs.co.jp/mito/mito31/rin/genba/03.html

女医Nおめでとう。

2002年10月13日
いったん学校に寄って、三者面談を3組こなしてから大急ぎで東京へ向かう。
女医Nの披露宴は13時からなのに、パレスホテルに着いたのは12時40分。
慌てて着替えて会場へ飛び込む。


いつもあちこちを飛び回っているアクティブな女医Nが、今日は綺麗な着物姿。
優しそうな旦那様と並んで座る様子がとても幸せそうだった。

しかしN、冒頭の挨拶で早速「酒を嗜む」ということをばらされる(笑)。
開き直ったのか、合間に結構グラスに手をのばしていたし、部屋を移しての二次会では、挨拶回りをしていたNが我々のテーブルに来たなり
「柳子、水割りちょうだい」
と私のグラスを強奪。
どんなに綺麗な格好をしていてもやっぱりこいつは男前だ。


頼まれたスピーチも無事終了。
彼女とのエピソードは、実際は無茶だったり激しかったりするものばかりなのだが、かなり捏造して微笑ましさを装い、ぬるい笑いを誘っておいた。



なにはともあれ、おめでとうN。
いい旦那様をつかまえたね。
幸せになれよー。



しかしNよ。
私は初対面でご挨拶した人ほぼ全員に
「ああ!あなたが朝倉さんですか!!」
と笑われたのですが、あんた普段私のことをどんなふうに話してるんですか。
これについては今度「さんかつ」でじっくり話し合うことにいたしましょう。
朝、ネプ友達Mちゃんから「気が緩んだのか頭痛がする」というメールをもらった。
あれまあ大変だ私も疲れ気味だし気をつけなきゃ、と呟きながら出勤して、三者面談スタート。
そしたら途中から背筋がゾクゾクし始めて、面談が終わる頃には頬は火照るわ頭痛はするわで最悪の体調になっていた。


うあーん気を緩ませてる場合じゃないよ私ー。
明日は仕事と女医Nの結婚式があるんだよー。
しかもNから「来賓のお偉い教授達を酒ネタ以外で笑わせろ」と指令が出てるんだよー。
それにしても会えば飲んだくれてるわしらなのにスピーチで酒ネタ禁止ってどういうことだよNー!!
そんじゃ明日は熱にうかされた私がマイクの前で
「渡辺謙をこよなく愛する女子高生だったNさんは女医になった今も変わらず渡辺謙を愛し続けており、旦那様の話をしている時よりも渡辺謙の話をしている時の方が確実にオトメの顔つきをしています」
とかしゃべっても文句言うなよNー!!

誓い。

2002年10月10日
この時期は学園祭や通知表などで半端じゃなく忙しい。
だから日中はIさんのことを思い出さずに済むのだけれど、帰宅すると張りつめていた気持ちが一気に緩んでしまう。
冷蔵庫を開けてビールを取り出そうと手を伸ばした時、私の視界は既に涙でぼやけている。
さびしくてたまらなくて、自分の家族と一緒に過ごす時間が増えた。
家族の前で何度も泥酔した。


こんなことを2週間ばかり続けて、ようやく彼女の死を受け入れられるようになった。



昨日夕方、ネプ友達Mちゃんとともに熊本のIさんの家にお邪魔した。
あんなに背の高かったIさんが、とても小さくなっていた。
なかなかお線香がつかなかったのは、ひょっとしたらIさんの悪戯だったのかもしれない。
花に囲まれたIさんの遺影と遺骨と位牌を前にして、私は、彼女との思い出を、お母さんとお兄さんに話した。
それらの話は、ほとんどが生前のIさんによってお母さんに伝えられていたものだったけれど、それでもお母さんは私の話を丁寧に聴いてくれた。
お母さんも、家に居る時のIさんの様子を、たくさん話してくれた。
ネプとRAGを通じて知り合った私やMちゃんやKさんなどとのやりとりを、Iさんはいつも嬉しそうにお母さんに報告していたらしい。

「あの子は東京に行くことだけが楽しみだった」

そう言って笑いながら、お母さんは泣いていた。


最後に、Iさんの部屋を覗かせてもらった。
そこはお母さんやお兄さんの手で綺麗に片付けられていたが、テーブルの上には、RAGの特集が組まれている雑誌が2冊置いてあった。
我々3人にとってのバイブルであるMUSIC CREATOR14号と、夏の「うたまつり」の様子が載っているARENA37℃だった。
お母さんが、それらを私達にIさんの形見としてくださった。
「アロハとレイも」と言われたが、それはお断りした。
Iさんの家からRAGに関するものが無くなったら、Iさんが淋しがるだろう。


お兄さんに市内まで送ってもらって、Iさんの幼なじみのRさんとの待ち合わせ場所に行った。
RさんとMちゃんと私の3人で、Iさんについてたくさんたくさん語り合った。
そこで話題になったのが、彼女の持っていたとある大事なものについてだ。
亡くなる前にIさんは、我々3人にそれぞれ違う形で「あれについてはなんとかしておいて」と告げた。
Iさんが居なくなった今、私達は言われたとおりなんとかしようと思ってはいるのだが、しかし引き継ぎの材料がなにひとつ準備されておらず、それにご家族の意向等も加わったことで、ああもうどうすりゃいいんだ、という状況に追い込まれている。
さんざん話し合って、かろうじて解決の糸口を見つけてはみたのだが、これが本当にうまくいくのかは判らない。

「んもーIさんは手間かけさせるんだから」

そう言って3人で笑った。



ホテルに戻って数時間寝て、今朝8時20分の飛行機に乗り、帰宅してすぐにこの日記を書きはじめた。
キーボードを叩きながら、何度も涙がこみあげた。
でも、おとといまでの涙とはどこか違うような気がする。
Iさんに会って、Iさんを取り巻く人達と話して、ふっきれたのかもしれない。
もちろん、私の中の苦い思いは恐らく一生消えないだろう。
しかし、自分を責めて悔やんでばかりはいられない。
しっかり働いて、しっかり食べて、しっかり生きていこうと思う。
そして、人の心や生命に対して、出来うる限り誠実に向き合ってゆこうと思う。



Iさん、見ててね。
初めて会ったのは去年の1月。
熊本市内のお好み焼き屋で真っ昼間からビール飲んで、喫茶店でさんざんしゃべりまくって、挙げ句の果てには阿蘇まで送らせてしまったよね。


7月には君が東京に来て、ネプ単独ライブ全公演一緒に観たね。
恥を忍んでお揃いのTシャツを来て行って、もぎりのパラシュート部隊に突っ込まれたっけ。
お台場で偶然出くわしたTIMロケ、よっさんの婿養子っぷりに大笑いしたね。
翌日のネプの公開録画、あれはホントに最高だった。
泰造さんのナニを拝んで絶叫する君の姿が忘れられません。


12月に泊まった浜松町アートホテルは君のお薦めだけあって、部屋がすごく広くて快適だった。
「犬」の特番がめちゃくちゃ面白くて、缶チューハイ片手に転げ回って笑ったね。
あの後君はぐうぐう爆睡してたから知らなかっただろうけど、私は夜中に3回起き出してリバースしました。


今年の3月の福岡旅行、中州で飲んだ後、いかにも酔っ払いという感じで「ラブラブなカップル フリフリでチュー」を歌いながらホテルまで戻ったね。
確かこのあたりから我々のRAG FAIR狂いが始まったんだと思う。


8月はアメ横でお揃いのアロハとレイを買って、池袋のThe Rock Upで飲みながら「なんちゃって礼央様」をやった。
それで一緒の飛行機で熊本に戻って、君のヤンキー仕様車(笑)で天草までドライブ。
車の中では「オムライス」とか「加納ビーム」とかバカなことばっかり言い合ってたね。
素晴らしくいいお天気でビールも美味しかったし、遊覧船も気持ちよかったし、小さな砂浜で裸足になって水遊びもした。
帰りはまたもや阿蘇まで送らせてしまってすまん。
阿蘇乙姫のファミマの駐車場で、「それじゃあ冬の東京はまた品川のホテルで」って打ち合わせて、
「そんじゃまたねー」
なんて手を振って別れたね。


あの時は、その横顔が君の見納めになるなんて思いもしませんでした。



君と知り合って1年半になります。
住んでいる場所は遠かったけど、それにしては会う機会がたくさんあったよね。
メールもしょっちゅうだったし、「いつでも会える」ってまるで隣町に住んでるような感覚でいました。
だけど、君を亡くした今、私は君を全然知らなかったことにようやく気が付きました。


君は私を「姐さん姐さん」と慕ってくれて、私もそんな君が大好きでした。
毎日メールをやりとりして、会って飲み歩いて馬鹿話する機会を本当に楽しみにしていました。
でも、君を助けることは出来ませんでした。

私は君が苦しんでいることを知っていたし、本気で励ましたり心配したりしていました。
でも、そんな君の苦しみを、私は理解していませんでした。
君が死をほのめかすたびに心を痛めていたのは確かだけれど、でも生きることが楽しくてしかたがない私には、自分を傷つける君の気持ちが全く理解できなかったのです。


それでも私は、君の気持ちを理解しようと努力するべきでした。


ごめんなさい。本当にごめんなさい。
友達甲斐のない友達でした。
今更後悔してもなにもならないのは判っています。
でも、悔やまずにはいられないのです。


来週、君んちに「ごめんね」と「ありがとう」を言いに行きます。
手みやげはビールとRAG FAIRの写真集なので楽しみにしているように。
今日も学園祭準備で出勤。
昨日と全く同じ状態。
楽しかったけど、疲れた…。


ところでおととい発売の「ダレン・シャン」6巻!!
ホントにこの作者すごいわ!!
うわーうわーうわーってじたばたしながら読んだですよ。
朝晩電車の中でちょっとずつ読み進めて、今朝最終章にたどりついたんだけど、悲しくてせつなくてやりきれないような場面が延々と続いていただけに、なおさら嬉しくてたまらなかった。
決して馴れ合いにならないクレプスリーとダレンの関係が好きだなあ。
エラもカーダも、常に自分の筋をきっちりと通すところが良かった。

次の7巻は懐かしのシルク・ド・フリークが関わってくるそうな。
私の好きなエブラは、ひょっとしなくとも蛇中年になっているのね…。
今から腹くくっときます。
放課後、クラスの生徒を半分残して学園祭準備にとりかかった。

中1生にとっては初めての学園祭だから、こちらが全てお膳立てしておく必要がある。
クラス全員に仕事を分配し、「君はこう動きなさい」とそれぞれに細かく指示を出すのだ。
しかし指示だけでは彼らは動けない。
それが「この原稿を模造紙に書きなさい」という単純作業であっても、中1にとっては大仕事なのだ。
細かい疑問や不安が浮かぶたびに、「せんせー!!」と彼らは私を呼ぶ。
例えそれが別の生徒との会話のさなかであったとしても。

「今こっちで説明中!後で行くからちょっと待ってなさい!!」

私はとりあえずそう叫び、中断されていた説明に戻るのだが、生徒達は『呼んでも来てくれないのなら自分から』とばかりに私の回りにわらわらと寄ってくる。
肩や背中を叩いたり腕を引っ張ったり、なんとか私の気を引こうとする。

「ねー先生!先生!!先生ってばー!!」

最後はもう絶叫に近い。
うるさいので振り向いてしまったほうが楽なのだが、それでも私は敢えて振り向かない。
「話の途中に割り込むのは失礼だ」ということをしつけるいい機会だからだ。
絡みつく腕を無視し、鬱陶しさを我慢しながら説明を続ける。

ようやく話を終え、「はいお待たせ」と振り向くと、生徒達は焦れた顔をほっと緩ませるのだ。


しかしあれだけ大騒ぎしときながら、よこしてくる質問は
「下書きってしたほうがいいの?」
「何色で書くの?」
「字が歪むのイヤだから定規使っていい?」
といった類のものばかり。
自分のクラスの生徒は特別に愛おしいものだし、要領も得ていないのだから仕方がないのは判っているけれど、こういう時は星一徹ばりに卓袱台をひっくり返したくなります。

ま、楽しいけどね。

朝から景気良くリバース。
どうして私はこう懲りないんだろうか、とガンガン痛む頭を抱えながら出勤した。

気力で1時間目の授業をこなし、そのまま学校を飛び出して10時半からの某塾本部での入試問題説明会に滑り込む。
いつものように教室が会場だと思っていたら、いきなり楽屋のようなところに案内されて、訳もわからずおろおろしているうちに「出番です」とマイクを握らされた。
とりあえず出ていったステージ上で、500人を越えるかと思われる保護者達を目にした瞬間
『なんだよこんな立派な形式の説明会だなんて聞いてないよ!!ボスのばかー!!』
と心の中で叫んだ。
動揺しながらもなんとか15分間の解説を終え、楽屋でゼーゼー言ってたら、ボスが近寄ってきて
「おう朝倉、悪いな言い忘れてたわ」
忘れてたじゃ済まんわー!!

説明会終了後、うちのスタッフと別れて今度は単独で塾回りへ。
頭は痛いわ気持ち悪いわで倒れそうだったが、気合いで営業にいそしんだ。


もうちょっとだけ頑張れ私。
朝っぱらからはるばる鴨宮まで行って合同説明会。
お客が少なくて暇だった。
あの時間を採点に費やすことが出来たなら。ううう。

終了後、近くの学校の先生達と一緒に飲みに行った。
16時から23時まで3軒。
完全にリミッター振り切れました。

某中学教頭H先生曰く
「いやー朝倉さんは3年前に比べて貫禄がついたねー飲み方とか吸い方とか」

そんなのいりません。


【本日の酒量】
生中3杯、一ノ蔵3合、ウーロンハイ1杯、水割り3杯
ギリギリで問題間に合いました…よろり。
でも土曜の試験手つかず。あああああ。

試験監督の後、上がってきた自分の試験の答案用紙を整理して、ほんの少しだけ採点。
14時に学校を出て塾回り。
ウチのクラスの数名がかつて通っていたという塾だったので、それが会話のとっかかりになって順調に話が進む。
夕方帰宅して、それから2本目の作問。
明日中に完成させねば。


ところで最近掌の湿疹の調子がいいなあと思っていたら、昨日から瞼のあたりにびっしりと…。
疲れるとダメなのかなあ。
うーんやっかいやっかい。
朝っぱらからパシフィコ横浜へ。
桜木町からてくてく歩いている途中、あちこちぶらさがるout of orderの垂れ幕にネプとRAGの名を見つけて涙がちょちょぎれた。

今日は進学相談会だったのだが、会場がパシフィコ内で一番狭いアネックスホールで、途中で酸欠になるかと思った。
時期と集客数と会場の面積を考えてくれ主催者よ。
しかも両隣のブースが超大手校だった為、間に挟まれたウチは両脇からの行列に阻まれてちっともお客が集まらない。
仕切りがあんまり酷いので自主的に列整理してやったのに、礼のひとつもよこしゃしねえ。
全く感じ悪いったら。

そんなふうに非常に不愉快な一日だったので、ウチのスタッフ全員で閉会式をぶっちぎって撤収。
16時からクロスゲート内「月の蔵」で飲んで、その後横浜駅前「東方見聞録」に移動して、最後はスカイビル内「Living;bar」で暴れてきた。

いかにも酔っ払いといった体で「らぽっぽ」のポテトアップルパイをぶらさげて帰宅。


やばいしょっぱなから飲み過ぎた…。



【本日の酒量】おお久々。
生中3杯・ブルゴーニュ(赤)1杯・シーバスリーガル(シングル・ロック)1杯
カンパリトニック1杯・一ノ蔵2合
…せ…先週やっときゃよかったよ…。

でも今回は終始和やかな雰囲気が漂っていた。
家庭訪問のおかげでおかあちゃんたちとの距離がすごく縮まって、お互い気持ちに余裕があったということもあるし、いつもわけわからん発言で場を混乱させるTのおかあちゃんが欠席だったこともあるし。
いつもこんなふうだといいのになあ。

ところで試験が17日(火)から始まるというのに、わたくしときたら作問に全く着手していないという状況。
補習やら学園祭準備やらで走り回ってるうちに、あれよあれよと時間が過ぎていき、気付いたら自分の試験まであと4日。
しかもこのクソ忙しい時期を狙いすましたかの如く、入試広報の仕事がどっちゃりやってきた。
16日(月)から24日(火)まで毎日出張ってなんだよそれ。
嘘でも良いから私の代わりに採点してくれる人よこすって言ってくれ。


とりあえず明日の午後までに試験1本完成させる。
夕方からY先生宅で行われる「夜の顧問会議」で思う存分暴れたいしね。
うまい鰹とうまいワインの為に頑張れ私っ。
またもや絶不調に舞い戻ってしまったPCにイライラさせられる日々が続いていたのだが、今日仕事から帰ってみると、モデムが新しいものに交換されていた。
母がPCサービスマンを呼んでくれたらしい。

ビバ母。


しかし、私が最も驚いたのは、PC周辺のカオスがすっかり消えていたことだ。
PCサービスマンを呼べるよう、母が綺麗に片付けてくれたらしい。

母最高。
18時半、教員会議終了。
ぐったりしながらベランダで煙草を吸っていたら、突然膝カックンされた。
背後でゲラゲラ笑っていたのは、今年の3月に卒業したA(♂)とI(♀)。
暇を持て余して遊びに来たらしい。
そのまましばらくベランダで話していたのだが、話しても話しても話し足りないので
「よっしゃ!ごはんでも食べるか!!」
と街に出た。
でも実際に入ったのは居酒屋で、23時過ぎまで騒いでたかな。
AもIも在学中は成績優秀品行方正の良い子ちゃんだったのだが、それなりにやることはやってたらしい。
在学中にそういうことをやらかされるとむちゃくちゃ腹が立つけど、卒業後に明かされる「過去の悪事の数々」っていうのはむしろ面白くてしかたがない。

卒業した生徒達が、こうして遊びに来てくれたり、あれこれと誘いの連絡をよこしてくれたりして、以前彼らが在学していた頃とは全く違う関係が私達の中に出来つつある。

こういうのってすごく幸せだなあ、と最近よく思う。



しかし学生に払わせるわけにはいかず奢っちゃったのでますます窮地に追い込まれた。
今月はもう誰も遊びに来るなよ卒業生。
夏に遊びすぎたせいで、貯金が底をつきました。

うあーんやばいよー今月5回も出張(含飲み会)あるのにー!!
マルイとセゾンから引き落としされるのにー!!
今月の生活費まだ家に入れてないのにー!!


もう当分思いつきで飲みに行くの禁止。

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